背の高い灯篭がいっぱいあるのですが
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だいたい慶安四年(造営が済んだ年。1651年)に建てられたもののようです。
諸侯の集団献灯。
家綱が就任した年のようですが、関係あるんだろうか?
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下にあるのが私の傘です。
大きさ、お分かりいただけただろうか…
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何にせよ一基一基が大きすぎて、なんとも異様な光景。
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ゆがんでる!
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(あの…その宝珠は隣の人のじゃ…)
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銅灯籠群
手前のは鈴です
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おそらく松竹梅♡
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お化け灯籠
随分ウロウロしてようやく発見
柵の向こうで、残念ながら近づけませんが
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大きさが伝えきれません。が、6メートルあります!!
6メートルといえば2メートルが3つ分ですよ!でかいよ!
これだけ大きければおとなも火袋に入れるかもしれない
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何を思って巨大灯篭なんて作ったのか。
看板文
↓
「佐久間大膳亮勝之(たいぜんりょうかつゆき)が東照宮に寄進した石造の燈籠で、
奉寄進佐久間大膳亮平朝臣勝之
東照大権現御宝前石燈籠
寛永八年辛未孟冬十七日
と刻字し、寄進者・寄進年月を知ることができる。寛永八年(一六三一)当時、東照宮は創建して間もなく、社頭には、現存の大鳥居・銅燈籠・石燈龍などは、まだわずかしか奉納されていなかった。勝之は他にさきがけて、この燈籠を寄進したのである。
勝之は、織田信長の武将佐久間盛次の四男。母は猛将柴田勝家の姉という。信長・北条氏政・豊臣秀吉、のち徳川家康に仕え、信濃国川中島ほかで一万八千石を領した。
燈龍の大きさは、高さ六・〇六メートル、笠石の周囲三・六三メートルと巨大で、その大きさゆえに「お化け燈籠」と呼ぶ。京都南禅寺・名古屋熱田神宮の大燈籠とともに、日本三大燈龍に数えられる。」
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2016年8月4日